小説「サークル○サークル」01-423. 「加速」

「それでどうなったの?」
興味津々といったようにシンゴはアスカに続きを促した。
「ターゲットは奥さんに詰め寄ることなく、“浮気って、されるとこんなにも心が痛いものなんですね”って言って、先に一人で出て行っちゃったのよ」
「へぇ……」
シンゴは意外だと言いたげに相槌を打った。
「でも、これでターゲットの方は一段落したし、明日、依頼者に連絡して、成功を報告すれば今回の案件は終了するわ」
「そっか。それは良かったね。お疲れ様」
「うん、ありがとう」
アスカはシンゴの労いに微笑む。
漸く、随分と手を焼いていた仕事が片付くのだ。アスカはほっとしながら、熱々のビーフシチューを口に運んだ。
シンゴの作る、いつも通りの、ビーフシチューの味がした。

翌朝、アスカは事務所に行くと、早速、マキコに連絡を入れた。
結果、報告をしたい旨を伝えると、すぐに来るという返事をもらった。
アスカはどういった流れで、話を持って行こうか、と頭を悩ませていた。

小説「サークル○サークル」01-422. 「加速」

アスカは風呂から上がり、食卓テーブルを挟んで、シンゴと向かい合って座った。
熱々のビーフシチューと温玉サラダ、フランスパンが目の前に置かれている。
赤ワインで乾杯すると、二人は食事を始めた。
「今日は上手くいった?」
シンゴの言葉にアスカは待ってましたとばかりに口を開いた。
「上手くいったの。でもね、すごいハプニングもあったのよ」
「ハプニング?」
シンゴはビーフシチューを口に運ぶ手を止めて、不思議そうな顔をする。
「ターゲットの奥さん――依頼主が偶然、喫茶店に来たの」
「へぇ……。そんなことがあったんだ」
「しかも、奥さんは不倫相手とイチャイチャしながら、入って来たのよ」
「えっ!? それは修羅場になったんじゃ……」
「そう思うでしょ? でも、ターゲットが奥さんに気が付いて、じっと見てたら、奥さんもターゲットの視線に気が付いたのよ。だけどね、奥さんは顔色一つ変えなかったの」
シンゴは驚いたように目を見開いた。やはり、普通は動揺するものなんだな、とアスカは思った。

小説「サークル○サークル」01-421. 「加速」

「あの動揺の仕方はおかしかったですもんね」
「ええ。すごいタイミングよね。自分の奥さんの不倫現場を目撃するなんて。しかも、旦那に気が付いても、奥さんは顔色一つ変えなかったもの」
「だから、余計に傷ついたのかもしれませんね……」
レナは複雑そうに俯いた。まだヒサシに気持ちが残っているのか、それとも、一度は愛した人が傷つくのが辛いのか、はたまた、そのどちらもなのかはわからない。けれど、どちらにせよ、レナとヒサシの不倫は終わったのだ。
「でも、最後まで、不倫相手になる気持ちはわからないままだったんでしょうね」
アスカはレナの寂しげな微笑みが忘れられそうにもなかった。

ユウキとレナと別れて、事務所で簡単な事務処理をすると、アスカは帰宅した。
玄関のドアを開けると、ビーフシチューのいい香りが鼻先をつく。
「ただいま」
「あー、お帰り。今、ちょうど、夕飯作ってるところなんだ。先にお風呂に入っておいでよ」
「ありがとう」
アスカはコートをハンガーにかけ、バスルームへと向かった。

小説「サークル○サークル」01-420. 「加速」

不意にマキコの視線がアスカたちの方へと向いた。そして、あっという間にマキコの顔色が変わる――と思った。けれど、マキコは表情一つ変えることなく、再び、不倫相手の方を向き、笑顔を振りまいている。
ヒサシよりマキコの方が何枚も上手だ。アスカはさっきよりも気の毒に思いながら、ヒサシを見た。
ヒサシはアスカをじっと見る。もしかしたら、依頼者がマキコだとバレてしまったのかもしれない。緊張が走った。
「浮気って、されるとこんなにも心が痛いものなんですね」
ヒサシはその一言を言い残し、行ってしまった。

「あれは別れる、と捉えていいんでしょうか……?」
ヒサシが喫茶店を出て行った後、遠慮がちにレナは言った。
「いいんじゃないかしら。不倫される側の気持ちが漸くわかったのよ」
アスカは不安そうにしているレナににっこりと微笑む。
「これでやっと終わりか……」
ユウキは大きな溜め息をついて、天井を仰いだ。
「でも、さっきのは……」
「ああ、あれは奥さんが不倫相手とそこにいたから……」
「やっぱり……」
レナとユウキの口からは同じ言葉が同じタイミングで零れた。

小説「サークル○サークル」01-419. 「加速」

アスカはヒサシが話し出すまで、何も言わないでおくことにした。レナと別れさせる為に依頼してきたのはあくまでユウキということになっている。今、アスカが変なフォローを入れてしまったら、マキコが依頼者である、と勘の良いヒサシなら勘付く可能性がある。
そんなアスカの考えを見抜いたのか、ユウキがヒサシを見て言った。
「どうかなさいましたか?」
「い、いや……」
明らかに動揺しているヒサシを横目にユウキは続ける。
「レナと別れてくれる気になりましたか?」
「……」
ユウキはヒサシが動揺している隙に、別れると言わせようとしているのだということにアスカはすぐに気が付いた。けれど、こんなことくらいで、ヒサシは首を縦には振らないだろう。
ヒサシはもう一度、マキコたちの方に視線を向ける。アスカも不自然にならないように、マキコの方へと視線を向けた。マキコはまだ不倫相手と楽しそうに話している。まだ。ウェイトレスに席へ案内されていないようだった。


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