小説「サークル○サークル」01-261~01-270「加速」まとめ読み

シンゴは今日ユウキに話すべき内容を頭の中で組み立てる。そして、話していいものなのか、誘っていいものなのか、自問する。答えはすでに決まっていた。だから、シンゴはユウキを公園に誘ったのだ。けれど、その答えに自信が持てずにいた。
そんな時間を過ごしている間に、シンゴの見つめる地面に影が落ちた。ふと顔を上げると、そこにはユウキが立っていた。
「すみません。お待たせしました」
ユウキは少し息を切らしながら、シンゴを見た。
「いや、僕こそ、突然誘ってごめん」
シンゴの言葉を聞き終えると、ユウキは隣に腰を下ろした。
「もしかして、昼ご飯、食べるの待っててくれたんですか?」
「ああ、一緒に食べようと思って」
「ありがとうございます!」
ユウキはシンゴに笑顔を向けた。
シンゴはその笑顔を見て、ユウキを待っていて良かったな、と思う。
二人はほぼ同時にコンビニの袋の中からガサガサと、シンゴは菓子パンを、ユウキはおにぎりを取り出した。

「ところで、今日は何か俺に用があったんですか?」
ユウキは二つ目のおにぎりのセロハンを外しながら言った。
「ああ、そのことなんだけど……」
シンゴはそこまで言って口籠る。本当に自分が言おうとしていることが正しいのか、一瞬躊躇した。
「どうかしました?」
「いや……。実はさ、尾行しようと思ってて」
「奥さんを?」
「ああ、そうなんだ。それで、君も一緒にどうかなって思って。言ってただろう? 尾行する時は連れて行ってほしいって」
「はい」
「まだ君の好きな女の子は不倫しているの?」
「多分……。最近、会ってないから、確かなことはわかりませんけど……」
ユウキは小さな溜め息をついて答える。
「どうする? 一緒に尾行に行ってみる?」
「いいんですか!?」
「ああ、君が実際に彼女を尾行しないで済むような結果になることを願ってるけど」
「俺もそうなればいいとは思ってるんですけど……」
ユウキは浮かない顔で相槌を打つ。そんなユウキを見ながら、シンゴは思わず自分を重ねて見てしまった。

自分もこんな浮かない表情をしているのだろうか、と考えて、シンゴは作り笑いを浮かべた。そして、ユウキを見据える。
「じゃあ、一緒に行こうか」
「はい!」
ユウキは目を輝かせて、シンゴを見る。
しばらく他愛ない会話を交わし、食事を終えると、シンゴは詳細はメールすると言って、ユウキと別れた。

家に帰ってくると、すでにアスカがいた。
「あ、おかえり。どこ行ってたの?」
「コンビニに……」
「そう……。何も買わなかったの?」
「いや、昼ご飯買ったんだけど、公園で食べて来ちゃった」
「今日、天気いいものね」
ちらりとダイニングテーブルに目を遣ると、キッチンパラソルに入っている食事が目に入った。
「もしかして、これ……」
「シンゴも食べるかなーって思って、作っておいたの」
「ごめん」
「いいの、気にしないで。メールして訊けば良かったんだもの」
アスカはそう言って、苦笑した。
手洗いとうがいを済ませると、シンゴはキッチンパラソルをどけた。

シンゴがキッチンパラソルをどけたのを見て、アスカは驚いた顔をする。
「無理しなくていいよ」
「いや、コンビニの菓子パンだけじゃ足りなくて」
「それならいいんだけど……。温めなくて平気?」
「ああ、このままで平気」
そう言って、シンゴは皿の中をまじまじと見た。皿の中にはエビチャーハンが入っている。
シンゴはちらりとアスカを見た。
アスカはどことなく嬉しそうだ。シンゴはソファの前にあるテーブルにお皿を置き、ソファに腰を下ろした。
「今日はなんでこんなに早く帰って来たの?」
シンゴはスプーンでチャーハンをすくい、口に運びながら訊いた。
「他の案件のチェックもないし、書かなきゃいけない書類も新しい仕事の依頼もなかったから、たまには早く帰って来て、家事でも頑張ろうかなって思って」
アスカは微笑む。
「例の件は順調なの?」
「ええ。明日の夜、不倫相手と飲みに行くことになったの」
「飲みに?」
「これでもっと不倫について詳しい話が聞けると思うわ」
「それじゃあ、別れさせられるのもあとちょっとってこと?」
シンゴはチャーハンを食べる手を止めて、アスカを見た。

アスカはしばらく悩んだ後、口を開く。
「そうね……。ターゲットと接触したけど、あの男をどうこうっていうのは無理だと思うの。だから、あの女の子を別れさせたいって思うような方向に持って行きたいんだけど……。今回の飲みで畳みかけるつもりではいるわ」
「そうなんだ……」
シンゴはぽつりとつぶやくように応えると、チャーハンを立て続けに口に運んだ。
「ターゲットには会わないの?」
「そうね……。状況次第ね。明日、あの女の子と別れてから、バイトしてたバーに行って、接触するのもアリかな……とは思ってる」
「今日じゃないんだ?」
「えぇ、不倫相手の状況を詳細に確認してから、ターゲットに接触して、有効な方法を取った方がいいかな……とは思ってるわ」
シンゴはアスカを尾行するなら、明日の夜だと思った。
仕事としてアスカは接触すると言っている。それは、万が一、アスカが帰って来なくてもシンゴに怪しまれない為だろう。
シンゴは次第に自分の鼓動が速まっていくのを感じていた。それは緊張から来る動悸だった。

昨日はなかなか眠れなかった。翌日、アスカを尾行すると決めていたからだ。
シンゴは目をこすりながら、ベッドから抜け出す。アスカはすでに寝室にはいなかった。
「おはよう」
寝室から出ると、エプロン姿のアスカがキッチンから顔をのぞかせて言う。
「おはよう……」
まだぼんやりとする頭のまま、シンゴは答えた。
アスカは機嫌が良い。その事実がシンゴの胸をざわつかせた。
きっとあの男に会いに行くに違いない――。
シンゴはそう思った。だからこそ、アスカはこんなにも楽しげに朝からキッチンに立っているのだ。夫であるシンゴに朝食を作るのも、せめてもの罪滅ぼしに見えた。
シンゴは顔を洗うと、Tシャツとスウェットのまま、ダイニングテーブルにつく。ぼんやりとアスカの横顔を眺めていた。
「もうすぐ出来るから」
アスカの声だけが聞こえたが、シンゴは答えなかった。
しばらくすると、ふわふわの卵焼きが乗ったトーストとサラダ、コーンスープとホットコーヒーがシンゴの前に並べられた。
アスカも自分の分を並べて、席につく。
シンゴとアスカは一瞬、顔を見合わせ、「いただきます」と口にした。

「今日は随分と朝早いんだね」
シンゴはコーンスープを一口飲んで言う。
「ええ。今日はカフェには行かずに、飲み会の前に事務所寄るだけにしようと思って」
「仕事は大丈夫なの?」
「特に案件の進捗もないし、大丈夫よ。たまには家事をやる日も作らないと。今日は洗濯もアイロンかけもバッチリやってから、出掛けるわ」
アスカは言いながら、トーストに手を伸ばした。
アスカのトーストには卵とトーストの間にケチャップが塗られている。ケチャップの赤い色がちらりと見えて、アスカがケチャップ派だということを思い出していた。シンゴのトーストにはマヨネーズが塗られている。
サラダとトーストを交互に食べながら、シンゴはアスカに気付かれないようにアスカのことを何度もちらちらと観た。
アスカの様子はいつもと同じだ。キッチンに立っていた時のようなウキウキした感じは見受けられなかった。もしかしたら、浮かれている自分にはっとして、いつも通り振る舞っているのかもしれない。
シンゴはコーンスープを飲み干して、空になったマグカップの底をしばらくの間、見つめていた。

「どうしたの? 難しい顔して。カップの底に何か書いてある?」
アスカは笑いながら、シンゴを見る。
「いや……」
シンゴは気の利いた言葉も思いつけないまま、アスカの言葉に曖昧な相槌を打った。
「シンゴは仕事は順調? 小説はだいぶ書き終わったの?」
「順調だけど、まだ半分くらいかな。あと二週間くらいで書き終わると思うけど」
「随分、早いのね」
「書き出しさえ決まってしまえば、大して苦労はしないんだよ」
「そういうものなのね。私には未知の世界だわ。でも……シンゴが今書いてる小説がすごく楽しみなの」
ろくに本も読まないアスカが自分の本を楽しみにしてくれている、という言葉を聞いて、シンゴは心底驚いた。けれど、シンゴは驚いたことを悟られないように表情を動かさないように努める。
「ありがとう。頑張るよ」
口ではそう言ったが、内心、ああ、やっぱり、とシンゴは溜め息をついていた。浮気をしている罪悪感から、きっとアスカはこんなことを口にしているのだ。

シンゴは「おいしいね」と言いながら、朝食を食べていたけれど、考え事の所為でいまいち味はよくわからなかった。
「こういう時間って大切よね」
「えっ……?」
「二人で一緒に朝食をとる時間。穏やかで、一日の始まりに必要な時間だなって思って」
アスカは微笑む。シンゴも一拍遅れて、微笑んだ。アスカからそんな言葉が発せられるなどと思いもしなかったのだ。
「結婚してから、こういう時間、取って来なかったもんね」
「えぇ……。夫婦らしい夫婦ではなかったわよね……」
アスカはそう言って、少し遠い目をした。
シンゴは嫌な予感がした。
これではまるで別れ話の前振りのようではないか。こうやって、今までの自分たちを振り返り、もっとあの時こうしておけば良かったと口にするのだろう。
シンゴは速くなっていく鼓動から意識を反らせようと、コーヒーを喉に流し込んだ。冷めてしまい、生ぬるくなったコーヒーはシンゴの空しさを増幅させていく。
シンゴの目の前にいるアスカはトーストの最後の一口を今まさに食べようとしていた。

「ごちそうさま」
シンゴはアスカが食べ終わったのを見計らい、食器を持って席を立とうとする。
「いいよ、置いておいて。私が片付けるから」
「でも……」
「言ったでしょう? 今日は家事をバッチリするって」
アスカはシンゴの手から皿を取ると、シンクへと持って行く。
「……」
シンゴは黙ったまま、アスカの後ろ姿を見据えた。
全てのことが別れの兆候にしか思えず、嫌な考えしか浮かばない。
シンゴはアスカに気付かれないように溜め息をつくと、ソファに腰をかけた。
すぐに書斎に行くのは気が引けたし、かと言って、ダイニングテーブルにいるのも違和感がある。
テレビの電源ボタンを押すと、見慣れた朝の情報番組がついた。テレビには馴染みのキャスターが映し出され、昨日起きた事件の新たな情報が次々と流れてくる。シンゴにもそのニュースが聞こえてきてはいたけれど、耳には入ってこなかった。移ろう画面を目が的確に追いかけていくだけだった。
今日の朝からシンゴはずっと上の空だった。

続き>>01-271~01-280「加速」まとめ読みへ

Facebook にシェア
GREE にシェア
このエントリーをはてなブックマークに追加
[`evernote` not found]
[`yahoo` not found]

コメントは受け付けていません。


dummy dummy dummy