小説「サークル○サークル」01-231~01-240「加速」まとめ読み

「ねぇ、やっぱり、今日はイタリアンでもいいかしら?」
アスカの言葉にレナはきょとんとする。
「実は普段は混んでいて入れないイタリアンが、この時間帯なら入れるのを思い出したの。ここなら、いつでも来られるし、どう?」
ここでエスニック料理がいいと言われれば終わりだったが、アスカが強引にここを出ようとしたら怪しまれる。賭けに出るしか方法はなかった。
「イタリアンですかー!? 大好きです!!」
レナは目をキラキラさせて、アスカを見た。
「じゃあ、イタリアンに行きましょう」
アスカは逸る心を抑えて、エスニック料理店を出た。
レナに気付かれないように、アスカはほっと胸を撫で下ろす。
「こっちよ」
アスカは来たのとは反対方向に歩き出した。

イタリアン料理店はアスカの言う通り、席に空きがあり、すぐに通してもらえた。
「ここのピッツァは雑誌やテレビで紹介されるくらい有名なの」
「あっ、私も見たことあります! この前、お昼の番組で紹介されてました」
レナが嬉しそうに話すのを見て、アスカはここにして良かったと思った。

適当に注文を済ませ、アスカはレナと他愛ない会話を交わす。アスカがしたいのは、こんな話ではない。けれど、すぐに本題に入ってしまっては、警戒される恐れがあった。すでにアスカはレナに自分が別れさせ屋であると名乗っているのだ。
お酒も進み、二杯目が運ばれてきたところで、アスカは口火を切った。
「レナちゃんは彼氏とかいるの?」
「はい……。一応」
「どんな人?」
アスカの問いに一瞬躊躇いを見せたものの、レナはヒサシのことを思い出したのか、すぐに笑顔に戻った。
「社会人なんですけど、頭が良くて、カッコ良くて、優しくて……素敵な彼です」
「へぇ、いいわね。羨ましいわ」
「アスカさんんは彼氏いるんですか?」
「一応ね」
アスカは言って苦笑する。勿論、演技だったが、結婚生活を続けていると、苦笑したくなることも多々あるのは事実だった。
「どんな彼氏さんなんですか?」
「そうねぇ……。不器用でどんくさくって、だけど、憎めない人よ」
「へぇ……意外です」
レナは大きな目を更に大きくして驚いた。

「どうして?」
アスカはレナの真意が汲み取れず聞き返す。
「アスカさんは完璧な人と付き合ってるのかなって、思っていたから」
「そんなことないわよ。完璧な人には憧れるけど、結局、最終的に選ぶ人はそういう人じゃないのよね」
「どうしてですか?」
「そうねぇ……。完璧であることより、大切なことがあるからかしら。完璧な人は憧れもするし、尊敬もするわ。自分が完璧ではないから。だけど、それだけじゃ、人間はダメなのよ」
アスカの話にレナはうんうんと頷きながら聞き入っている。
お酒も入っている所為か、アスカは上機嫌で話をし、仕事だということを忘れそうになる。
「極端な話、完璧な人がいいなら、ロボットでもいいわけじゃない。だけど、どこか不完全なところがあるから、その部分を自分が補ってあげたい、助けてあげたいって思うのよ。補うところがない人は、自分がその人のそばにいる明確な理由をなくしてしまうでしょう」
「確かに……」
「昔ね、不倫をしていたことがあるの」
アスカは緻密に練ったシナリオを語り始めた。

「アスカさんが不倫……ですか?」
「そう。間が差したって言うか……ううん。ただ彼のことが好きだったのね」
アスカは昔話を懐かしむように静かに語り出す。レナはその語り口に引き込まれていた。
「彼は随分と年上で私から見たらとても大人だったの。優しいし、紳士的だった」
そこでアスカは言葉を区切り、再び続けた。
「それに同世代の男の子と比べたら、お金も持っていたわ」
くすりと笑って、アスカは言う。
「同世代の男の子にはない安心感もあったし、楽しさもあった彼にハマるのにそう時間はかからなかったの」
アスカはレナの表情を伺いながら、話を進めていく。レナのどんな表情も見落とすわけにはいかなかった。
アスカはそこで一呼吸置いて、パスタを口に運んだ。オイルソースが唇につき、キラキラと光る。レナはオイルソースでキラキラと光るアスカの唇に思わずじっと見入ってしまった。
その唇から紡がれる次の言葉を待っていたのだ。
アスカはオイルソースを紙ナプキンでぬぐうと、水を一口飲み、続けた。

「付き合ってる時は楽しかったの。奥さんのことが時々頭を過ったけれど、それでも私の方が彼に愛されている、彼には私の方がふさわしいって思ってたのよ」
「それは彼がそう言ってたから……ですか?」
レナは遠慮がちに問う。
「ええ。彼はいつも言っていたの。君の方が可愛い。君のことを世界で一番愛してるって。でも、それは嘘だったわ」
「えっ……」
レナの表情が一瞬にして変わる。それもそうだろう。レナは今アスカが言ったことをヒサシに言われているのだ。レナとヒサシがバーに来た時に話していた内容をアスカはこの日の為にしっかりと覚えていた。
「どうして、それが嘘だと……」
「彼は奥さんが一番大切だったのよ。私のことが一番好きだなんて、都合よく私わ繋ぎとめておく為の口実だったの」
「そんな……」
「あなたがそんな顔をすることはないわ。私がバカだったのよ。若かったから……何も知らなかったのね」
アスカの言葉にレナの顔が次第に曇っていった。

アスカはここからが勝負だと思った。レナにヒサシとのことを話させるチャンスはもうすぐそこまで来ている。ここで焦ってしまっては元も子もない。アスカは平静を装いながら、レナが話し出すのを待っていた。
「結局、その方とはどうなったんですか……?」
レナは恐る恐るアスカに訊く。
「別れたわ」
「理由を訊いてもいいですか……?」
「えぇ、理由はね、彼の奥さんに子どもが出来たからよ」
「……!」
「そんなに驚くことじゃないわ。不倫にありがちなパターンよ。私のことを世界で一番愛してると言いながらも、しっかり奥さんともすることはしてたのよね。奥さんとは全然してないなんて言葉を信じちゃうくらい、私も純粋だったってことなのかもしれないけど」
アスカは苦笑して見せる。そのキレイな笑い方からレナは視線を外せなかった。いずれ、自分のもこんな風に笑うのかと思うと、胸の奥が締め付けられる。
レナはヒサシに言われた言葉を思い出し、何度も心の中で反芻した。反芻すればするほど、不安か襲い掛かってくる。気が付けば、レナの瞳には涙が浮かんでいた。

「どうしたの? 大丈夫?」
アスカは少し驚いたようにレナを心配する。これも計算のうちだった。
「大丈夫です……。すみません」
レナはバッグからハンカチを取り出し、溢れそうな涙を拭った。
アスカはそんなレナを見ながら、人のモノを取ろうとしている女が、この程度のことで泣くなよ、と内心思ったが、おくびにも出さずにレナを心配する振りをした。
「実は私……」
レナはそこまで言って、口を閉ざす。ヒサシとの不倫を言い出すべきか、どうか迷っているようだった。
アスカはじっと待つ。ここで話を促すのも不自然だったし、アスカの想定している方向とは別の方向に話が展開しても困る。ここは黙って、レナが自発的に話すのを待つのが得策だった。
一体、何分過ぎただろう。
レナは思い詰めた表情で俯き、口をへの字に結んでいる。
沈黙のあまりの長さに煙草を吸いたくなったが、アスカはぐっと堪えた。
今が勝負どころだ。アスカは煙草の誘惑に抗いながら、黙りこくっているレナをただじっと見据えていた。

「実は私……」
レナはもう一度同じ台詞を口にした。アスカはそんなレナを黙ったまま、見据えている。
レナの唇がわずかに震えている。口に出すのも憚られるのだろう。それは彼女が不倫を心の底から肯定していないことを伺わせていた。
「私、不倫しているんです」
レナは俯いたまま、言った。その表情は苦悶に満ちている。アスカはそんなレナを優しい眼差しで見つめた。
「そうなの……。もう長いの?」
アスカの言葉にレナは小さく頷いた。
「2年になります」
もう少し短いと思っていたアスカは面食らったが、レナには動揺を悟られないように僅かな微笑みを浮かべたまま、再び質問を口にした。
「彼はどんな人?」
「優しくて、大人で、紳士的で、頭の良い人です」
「そう……素敵な人なのね」
「はい……。私にはなくてはならない人です」
「でも、彼は結婚している……」
「……」
「……ごめんなさい。そんなことわかってるわよね。だから、辛いんだものね」
アスカはレナの味方であるような口振りで話を進めていった。

「奥さんがいる人を勝手に好きになって、付き合って、それが良くないことだってわかってて……。それで辛いなんて、自分勝手ですよね……」
「そんなことないわ」
アスカはレナがそこまで考えていることに驚きながら、レナを肯定する言葉を口にした。レナに自分がレナの味方である、と思わせることがアスカにとっては大切だった。そうでなければ、心を開いて、全てを話してもらえない。全て話してもらった上で、いかにレナを不倫から脱却させるかがアスカの腕の見せ所なのだ。
「自分勝手ですよ……。奥さんに申し訳なくて……」
「ねぇ、そこまで思うのに、どうして、不倫を続けるの?」
レナが本心からその言葉を口にしているのか、それとも、イイコを演じる為に口にしているのかを見極める為に、アスカは意地悪だな、と思いながらも問う。
「私にとって、彼は大切な人で……。彼がいなかったら、私は生きていけないから……」
レナは一言一言噛み締めるように言う。レナにとって、ヒサシが必要な人であるということは、事実のようだった。

けれど、レナはどうしてそこまでヒサシを必要としているのだろうか。アスカは可能性を模索する。
そこで彼女が思いついたのは、金銭的な援助だった。けれど、金銭的な援助であれば、レナの容姿をもってすれば、ヒサシに固執することもないだろう、という気もする。
アスカは質問を重ねた。
「その気持ち、わかるわ……。でも、どうして、彼がいないと生きていけないと思うの?」
「それは……」
レナは言いづらそうに視線を泳がせる。訊かれたくないことだったのだろう。アスカは質問するのが早かったかもしれない、と思ったものの、口に出してしまった言葉を取り消すことは出来ない。レナが答えてくれるのを黙って待つしかなかった。
「私にもよくわからないんですけど、きっと……私に優しくしてくれるのは彼だけで、私を必要としてくれるのも彼だけだったからだと思います」
「必要とされる?」
「ええ、彼は私がいないと生きていけないと言ってくれたんです」
アスカは思わず頭を抱えたくなった。その衝動を我慢して、優しい眼差しを崩さないようにレナを見た。
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