小説「サークル○サークル」01-191~01-200「加速」まとめ読み

食卓にカルボナーラとサラダが並び、アスカとシンゴは他愛ない会話を楽しみながら食事を進める。けれど、アスカは自分の気持ちのもやもやの所為で、どこか上の空だった。
「レナとの接触は上手くいきそう?」
「……それなりにね」
「どのくらいの期間で、この仕事は終わりそうなの?」
「さぁ……。レナがターゲットと別れてくれたからかな」
アスカの返事は歯切れが悪い。シンゴはそんなアスカの些細な変化に気が付いていた。しかし、シンゴは敢えて何も言わなかった。シンゴの勘は働いていた。きっとターゲットのことが絡んでいるに違いない。シンゴはそう踏んでいた。そうなれば、シンゴのやることはただ一つだ。再び尾行をして、アスカの状況を確認するほかない。自分のしようとしていることは、何度考えてもダメな男のやることに思えてならなかった。それでも、シンゴは真実を知りたかった。それは夫としてというよりも、もしかしたら、作家としてなのかもしれなかった。

翌日、シンゴはアスカの後をつけるかどうか悩んでいた。どうにも良心が邪魔しているようだった。
公園のベンチで寒い外気に当たりながら、シンゴは遠くを見つめた。芝生の上を飼い主と犬が楽しそうに駆け回っている。のんきでいいな、と思った。
「またこんなところで考えごとですか?」
頭上から声がして、シンゴは顔を上げる。そこに立っていたのは、ユウキだった。
「ああ、君か」
シンゴは然して驚く風でもなく、淡々と言う。
「その様子だと、奥さんの浮気、解決していないみたいですね」
「意外に痛いところをついてくるね」
シンゴは苦笑する。
「シンゴさんが悩んでることは、それくらいしか知らないですから……」
「ご察知の通り、相変わらず、なんの進展もないんだ」
「あれから、尾行は続けてるんですか?」
「いや、してない」
シンゴの言葉にユウキはほっとした表情を見せた。
「最近、シンゴさんコンビニにも来なくなっちゃったし、オレが尾行に連れてってくれなんて言ったから、怒ってるのかと思ってたんです」
「そういうわけじゃないよ」
シンゴはユウキに微笑んで見せた。

「尾行はもうしないんですか?」
「いや、それを今、悩んでいるところなんだ」
シンゴは神妙な面持ちで言った。ユウキは思わず息を飲む。
「悩んでると言うと……?」
「尾行して知りたい真実がある。けれど、尾行がバレた時のリスクはかなりのものでね。どちらを優先するべきか、迷いどころなんだ」
シンゴの言葉にユウキは深々と頷いた。
「シンゴさんもとても悩まれているんですね」
「僕も……ってことは、君も何か悩み事でも?」
シンゴは少し驚く。シンゴの疑問にユウキは俯き、黙った。ユウキの意外な反応にシンゴは思わず口を噤む。シンゴはユウキが話し出すのを静かに待っていた。
しばらくして、ユウキは意を決したように、シンゴの目を見つめた。
「実は……好きな女の子がいるんです」
「……」
正直、シンゴは「そんなことか」と内心思った。しかし、ユウキの次の言葉を聞いて、その思いは一瞬にして覆った。
「その女の子、不倫してるんです」
シンゴは俄然、ユウキの話に興味が沸いた。

「好きな女の子が不倫?」
「はい……。不倫なんてやめさせたいんです。だけど、どうやって、やめさせたらいいかわからなくて……」
「君とその女の子とはどういう関係?」
「幼馴染です」
「幼馴染か……」
シンゴは腕を組み考え込む。きっとユウキはずっとその女の子のことか好きだったのだろう。けれど、女の子はユウキをただの幼馴染としてしか見ておらず、ユウキの一方通行の恋になっているに違いない。よくある話だ。けれど、よくある話で済ませるには、ユウキが少し不憫だとシンゴは思った。
「どうして、君はその女の子が不倫しているとわかったの?」
シンゴの質問にユウキは俯いたまま、答え始める。
「見たんです」
「……何を?」
「彼女と男がホテルに入っていくところです」
ユウキのその顔には悔しさが滲んでいた。
「けれど、それだけじゃ、不倫しているということにはならないんじゃないかな?」
「いえ、オレ、その男がお腹の大きな別の女の人と歩いているところを見たことがあったんです」
「……でも、それが奥さんだとは限らないだろう? お姉さんとか妹だという可能性だってある」
「……あの雰囲気は違います。オレにはわかるんです」
言い切るユウキにシンゴは頭を抱えていた。ユウキの思い込みである可能性の方が大きい気がしていた。

シンゴは返す言葉を探したけれど、上手い言葉が見つけられない。小説を書く時はあんなにも言葉が溢れるのに、話すとなると、なかなか上手くいかなかった。シンゴは沈黙に耐えられなくなりながら、芝生を駆けまわる犬に視線を向けた。動き回る犬を目で追えば追うほど、考えがまとまらなくなっていく。
沈黙に耐えられなくなったのか、ユウキが真剣な面持ちで話し始めた。
「だから、シンゴさんと一緒に尾行して、尾行のコツを掴みたいっていうか……」
「ちょっと待って。君はその女の子を尾行しようとしてるの?」
シンゴは眉間に皺を寄せて、ユウキを見た。ユウキは真剣な面持ちのまま、シンゴを見て、一つ静かに頷いた。
「……それは、その女の子の不倫現場を押さえたいから?」
「はい、その通りです」
ユウキの返事には重みがあった。相当、思い詰めているらしい。シンゴはそんなユウキの気持ちを想像し、溜め息がつきたくなった。
「やめた方がいい」
シンゴは駆け回る犬に再び視線を向けて言った。犬は楽しそうに飼い主の投げたフリスビー目がけて、ジャンプしたところだった。

「どうしてですか!?」
納得出来ないといった口調でユウキはシンゴに詰め寄る。
「どうしてって、そんなことしたっていいことは何もないからだよ」
「シンゴさんは奥さんの浮気現場を押さえる為に尾行していたんですよね?」
「ああ、そうだよ」
「だったら……」
「だから、やめた方がいいって言ってるんだよ」
シンゴの呆れとも悲しみとも取れない複雑な表情を見て、ユウキは思わず黙った。
「でも……」
「不倫現場を押さえて、“不倫はやめた方がいい”と君が言ったとする。けれど、彼女は不倫をやめるかな?」
「熱意を持って、説得すればきっと……」
「それは君の理想だろ? 不倫がいけないことだってことは、彼女も重々承知のはずだ。けれど、わかっていながら、彼女は不倫をしている。そんな彼女が簡単に不倫をやめられると思う? 僕はそうは思わない」
「……」
ユウキは何も言わなかった。シンゴの言葉がぐさりと胸に突き刺さり、何も言えなくなってしまったのだ。

「悪いことは言わない。余計なことはしない方がいい」
「……」
「素人がどうこう出来る問題じゃないんだよ」
「……奥さんは別れさせ屋なんでしたっけ……」
「ああ、そうだよ。プロだって、不倫をやめさせるのは大変なんだ。素人の熱意なんかで、不倫は終わらない」
「……」
シンゴの言っている通りだとユウキは思った。倫理に反しているとわかっていながらするのが不倫だ。それを始めることも続けることも、それ相応の覚悟があるはずだった。勿論、何となくという理由で不倫をしている人もいるだろうが、少なくとも彼女は何となくなんて理由で不倫をするようなタイプではない。それはユウキが一番よくわかっていた。きっと彼女にとって、不倫相手にしか埋められない何かがあったに違いない。
「……わかりました。尾行はやめます」
ユウキは思い詰めた表情で言う。
「そうか、良かったよ」
シンゴはほっと胸を撫で下ろした。
「だけど、尾行には連れて行って下さい」
「どうして?」
「どうしてもです」
ユウキは一歩も引かない。その態度を見て、建前上行かないとは言ったけれど、彼女を尾行する気なんだな、とシンゴは確信していた。

「そんなに尾行について来たいならついてくればいい。足手纏いになるようなら、容赦なく置いて行く。それでいいなら」
「はい! ありがとうございます!!」
ユウキは満面の笑みで返事をした。

シンゴはユウキと別れると、真っ直ぐ家に帰った。家に帰っても誰もいない。しんとしていて、どこか肌寒い。人がいないということは、こういうことだ。少しの物悲しさを感じながら、シンゴは手洗いとうがいをいつも通り済ませると、書斎へと向かった。
パソコンの電源を入れ、原稿を書き始める。パソコンのライトが目に染みた。
自分のしようとしていることが実はとても馬鹿馬鹿しいことだ、ということに、ユウキを諭している自分を見て気が付いた。
尾行なんてするもんじゃない。したって、何の足しにもなりはしない。ただ空しさや遣る瀬無さが募るだけだ。
ユウキと勢いで尾行の約束をしてしまったものの、シンゴは悩んでいた。尾行をすること自体もそうだったが、何より浮気をしている妻の姿を他人に見せるというのは、いささか男のプライドが傷ついた。浮気されていることを告白している以上、今更だと思われるかもしれないが、それとこれとは別問題だった。

パソコンに向かっている時は余計なことを考えずに済む。沸き出て来る言葉を打ち込み、並べていき、時折、読み返しては、その並び順を変えた。
だから、小説を書いている時だけは、心穏やかになれるんだと思っていた。
けれど、本当に書くということは、そういうことではない、ということをシンゴは知ってしまった。
自分の傷を見て、抉り、目をそらしたい事実を直視し、その事実から与えられる悲しみや憤りに打ちのめされるのではなく、言葉に変換していくことが書くことだったのだ。
シンゴはそうした現実に翻弄されながらも、小説を書き進めた。彼には今は書くことしか出来なかったし、一人でアスカの浮気にやきもきしているよりは、いくらか気が紛れた。
シンゴはパソコンの画面を見つめながら、休むことなく、手を動かした。見る見るうちに画面が文字で埋まっていく。その光景を見ながら、シンゴは少しだけ安心していた。
それは自分が悲しみに翻弄されるだけでなく、言葉に置き換えられる、という事実を目の当たりにしたからだった。

数日後、久々にシンゴはコンビニやって来ていた。コンビニにはシンゴの他にもう一人雑誌を立ち読みしている客しかおらず、閑散としている。シンゴは店内をぐるっと一周すると、菓子パンコーナーにやって来た。今日の昼ご飯は菓子パンに決めた。
シンゴは新商品の菓子パンとレジ横にあったホットのカフェオレを手にすると、ユウキのいるレジへと向かった。
「いらっしゃいませ」
ユウキは笑顔でシンゴを出迎えてくれた。手際良く、ユウキはレジに商品を通していく。
「あの、今日はもうこれから帰られるんですか?」
会計を済ませたシンゴにユウキは、他の客には聞こえないように小声で訊いた。
「いや、公園で食べようかと思って」
「オレももうバイト終わるんで、待っててもらえませんか?」
「ちょうど良かった。僕も君に話したいことがあったんだ」
「それじゃあ、いつもの公園で」
「ああ、待ってる」
シンゴはそう言うと、商品の入ったレジ袋を持って、コンビニを後にした。
続き>>01-201~01-210「加速」まとめ読みへ

Facebook にシェア
GREE にシェア
このエントリーをはてなブックマークに追加
[`evernote` not found]
[`yahoo` not found]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


dummy dummy dummy