小説「サークル○サークル」01-141~01-150「加速」まとめ読み

「実は……」
「実は……?」
 シンゴの神妙な面持ちにユウキもつられながら、耳を傾ける。
「浮気されたんだ」
「浮気!? シンゴさんが!?」
「しーっ! 声が大きいよ」
 周りに誰か他の人間がいるわけではなかったが、シンゴは慌てて、ユウキを制する。
「すみません……。意外だったもので……」
「そんなわけだから、ちょっとね」
「そりゃあ、落ち込みますよ……。でも、どうしてわかったんですか?」
 遠慮なく、ユウキはシンゴに質問する。
「尾行してたんだ」
「尾行!?」
「だから、声が大きいって!」
「どうして、そんなことしたんですか?」
「どうしてって、次の小説の題材が妻の仕事と同じだったからだよ」
「それで尾行して、浮気現場を見てしまった、と……」
「そういうこと」
 ユウキは数回うんうんと頷くと、シンゴの方を見た。思わず、シンゴは身を引く。
「尾行は今日もするんですか?」
「いや、わからない。妻の仕事の状況次第だからさ」
「そうですか……。あの、一つお願いしたいことがあるんですけど」
 ユウキは真剣な顔をして、シンゴを見据えた。
 
「なんだい?」
 シンゴはユウキのただならぬ雰囲気に押されながら、問いかける。ユウキの口から飛び出た言葉はシンゴが予想もしていなかった言葉だった。
「今度、尾行する時は俺も連れていって下さい!」
「えっ」
 突然のユウキの申し出にシンゴは面食らった。ユウキの言葉の真意がわからない。
「ダメですか?」
「ダメってわけじゃないけど……。尾行を続けるかどうか迷ってるんだ」
「どうしてですか?」
「何度も妻の浮気現場を見ても、正直へこむだけだからね」
「まぁ、確かに……」
「そういうわけだから、期待しないでいてもらえるとありがたいかな」
「ってことは、尾行する時は声をかけてもらえるってことですか!?」
「あぁ、結構、ハードだけど、それでいいなら」
「ありがとうございます!」
 ユウキは満面の笑みで答えた。どうして、そこまでシンゴの尾行に同行したいのかわからなかったが、シンゴはその理由を聞こうともしなかったし、知りたいとも思わなかった。それよりも、一人であの妙なプレッシャーに耐えなくていいんだ、と思うことがシンゴをほっとさせていた。
 
「おかえり」
 シンゴが家に帰ったのは、夕方になってからだった。アスカが笑顔で出迎えてくれたことに驚きを隠せなかった。妻の笑顔を見たのは、いつ振りだろうとさえ思った。
「ただいま」
 上手く微笑めないまま、シンゴはアスカに言うと、コートを脱ぎ、手洗いとうがいの為に洗面所へと向かった。うがいをしながら、動揺している気持ちを落ち着かせようとする。けれど、浮気をしている妻を相手に平静に装える程、シンゴは大人でもなかったし、冷静でもなかった。
 深呼吸を何度かすると、リビングへと向かう。リビングに入ると、シチューのいい匂いが鼻先をくすぐった。
 キッチンに目をやると、珍しく、アスカが料理をしていた。思わず、シンゴは自分の目を疑う。
「私が料理なんてしてるから、びっくりした?」
 アスカはシンゴの視線に気が付き、振り向きざまに言った。
「どうしたの……?」
「どうしたのって、あなたが小説の仕事を再開した以上、私も家事をやらなきゃいけないと思ったのよ。幸い、今日は午前中に仕事を片付けてこられたから、夕飯の支度も出来るし」
「そうだったんだ……」
「もうすぐ出来るから、テレビでも観て待ってて」
「うん、ありがとう」
 シンゴはもやもやした気持ちを抱えながら、アスカに言われるまま、ソファに腰を下ろした。
 
「出来たわよ」
アスカに言われて、シンゴは食卓テーブルへとやって来た。テーブルの上にはシチューやサラダなどがバランス良く並べられている。
「久々に作ったから、美味しいかはわからないけど」
アスカは言いながら、席に着いた。
「君の手料理を食べられるなんて、嬉しいな」
シンゴは無理に微笑んだ。内心、アスカは浮気の後ろめたさを払拭する為に料理をしたのではないか、と思っていたけれど、言えるはずもなかった。そんなことを言ったら、尾行をしていたことがバレてしまう。そんなことをする小さな男だと思われるのは嫌だった。
「いただきます」
シンゴは笑顔でそう言うと、食事に手をつけた。
「どう? 美味しい?」
アスカに問われ、シンゴは「すごく美味しいよ」と再び作り笑いをアスカに向けた。
「良かった。シンゴは料理が上手だから、がっかりされたらどうしようって思ってたのよ」
アスカは嬉しそうに言う。ふとシンゴは新婚の頃を思い出した。アスカは結婚した当初、いつだって、こんな風に笑っていたではないか。アスカが笑わなくなってしまったのは、、自分に原因があったのではないか、と思わずにはいられなかった。

「あのさ……」
「何?」
「昨日の夜のことなんだけど……」
「あぁ、やっぱり、怒ってる?」
 アスカの言葉に胃の辺りが何かにきゅっと掴まれるような感覚に襲われる。シンゴは浮気の告白を覚悟した。
「仕事が忙しくて、バーでの仕事を終えた後、そのまま事務所で仕事をしてたのよ。どうしても、今日の午前中までに目を通さないといけない書類があって」
「そうだったんだ……」
「ごめんなさい。電話を入れるべきだったわよね」
「あぁ、心配してたんだ」
 シンゴは喉元まで出かかった「本当は浮気してたんだろう?」という言葉をぐっと飲み込んだ。アスカが嘘をつき通そうとしているということは、自分との結婚生活を壊したくないということだ、と考えたのだ。結婚生活を壊したくないと思っているということは、浮気は単なる火遊びかもしれないし、間が差しただけかもしれない。少なくとも、浮気相手より自分が優位に立っているのであれば、夫婦関係の修復は可能だと思った。それならば、今は何も言わないのが得策だ。
 しかし、それはそれで苦痛が伴うものだということをシンゴは痛感していた。
 
 アスカからの告白は数日が経った今日もなかった。けれど、シンゴは何も言わなかった。いつも通り小説を書き、家事をした。以前より、アスカは家事をしてくれるようになり、随分と楽になったけれど、どこか手放しで喜ぶことが出来ない。それはきっとシンゴの求めているものが、アスカが家事をする、ということではなく、浮気の告白だからだろう。
 けれど、シンゴがアスカに浮気のことを問いただすことはなかった。浮気を責めないことが、真実を明らかにしないことが、得策だと思っていた。でも、本当は違う。シンゴはただ事実を突きつけられるのが怖かったのだ。
 しかし、その事実から逃げられるわけもなく、シンゴはずっと追われ続けている。アスカに問いただすことが出来ないのなら、相手の男に思い止まるように直談判するのが近道ではないか、とふとシンゴはぼーっとする頭のまま、思いついた。
 少々、卑怯な気もしたし、気が引けないと言えば嘘になる。けれど、何もしないで泣き寝入りするのはもっと嫌だった。
 
 アスカは最近のシンゴの様子を見ていて、違和感を覚えていた。それが小説の仕事を始めたことによるストレスからなのであれば、仕方ないと思う。しかし、もしその原因が自分にあるのだとしたら、解決すべきことだとも思っていた。
 兎に角、シンゴがどこかよそよそしいのだ。
 アスカはバーでグラスを拭きながら、ぼんやりと夫婦について考える。
 一緒に住んでいるというだけで、夫婦と呼べるならば、それは今のアスカとシンゴの状態から逸脱することはない。けれど、愛し合って、一緒に暮らしているのが夫婦とするならば、いささか今の二人の関係は違うような気がした。
 そもそも、セックスをしなくなって、随分と経つ。シンゴは元々積極的な方ではなかったから、そんなに回数が多いわけではなかった。けれど、全くしなくなるには、まだ早い。
 求められなければ、なんだか自分が女であることを忘れてしまいそうだったし、女としてシンゴに認識されていないような気さえした。
 そう思ってしまう状況は嫌だけれど、だからと言って、自ら打破しようとしているわけでもなかった。どこか受け身な自分にアスカは溜め息をつく。
 
 心のどこかで、シンゴがどうにかしてくれることを待っているのだ。そのくせ、シンゴがどうにかしてくれることなど、ありはしないと言うこともアスカはよくわかっている。
 どうして、結婚してしまったのだろう。
 行きつく結論はいつもそこになる。
 でも、仕方がない。選んでしまったのは自分なのだ。今更、後悔したって遅い。責任は他の誰でもない、自分にある。
 ヒサシを待つこの時間にいつもアスカは自分の恋の相手を間違えたような気分になった。
 ふと顔を上げると、ドアが開き、入って来たのはヒサシだった。
 思わず、アスカの顔がほころぶ。けれど、続いて入って来た女を見て、アスカの笑みは消えた。
 茶色のボブヘアの良く似合う可愛い女だった。年の頃は二十代前半といったところだ。アスカとは数歳しか離れていないというのに、その若さは目を細めたくなるほど、眩しかった。
「いらっしゃいませ」
 いつものようにアスカは声をかける。ヒサシは躊躇うことなく、カウンターのいつもの席に座った。続いて、女も腰を下ろす。
「バーボンと、君は?」
「ジントニックで」
 アスカの顔を見ることなく、メニューに視線を落としたまま、女は言った。
 ヒサシの顔を盗み見る。その顔はいつものヒサシのそれとは違った。
 あの女がヒサシの本命――愛人だ。
 別れさせ屋の勘がアスカにそう言っていた。
 
 ヒサシが女を連れてくることはいつものことなのに、今日は心がざわざわした。あれが依頼主であるマキコが言っていた女に十中八九間違いないと思った。けれど、事実かどうかはわからない。
 どうにかして、女の情報を聞き出さなければ、とアスカは思った。顔を覚えることはアスカにとって、簡単だった。名前さえわかれば、どうにでもなる。その後は素性を押さえて、接触するだけだ。どこかで偶然を装い出会い、浮気相手の女とも親しくなれれば、より一層、別れさせやすくなる。一番いいのは、女に別の男を差し向けることだったが、他の所員は別件で手一杯だった。
 ここは自分がやるしかないか、とアスカが納得した時、タイミング良く、マスターが出来上がったドリンクをアスカに手渡した。
「お待たせ致しました」
 いつものようにアスカは笑顔を向ける。
「ありがとうございます」
 媚びるわけでもなく、自然に女はアスカからドリンクを受け取った。
 今までヒサシが連れて来たどの女よりも愛想がいいな、とアスカは思った。お高く留まっているわけでも、自分の美しさに胡坐をかいているわけでもない。そういう素直さにヒサシが惹かれたことは一目瞭然だった。
 
 アスカは自分の心が乱れてしまわないように、仕事に集中する。しかし、やはり、ヒサシと女のやりとりが気になった。それは、仕事ではなく、明らかにアスカの私情から来るものだった。
 アスカがちらちらと気にしているのがわかったのだろう。ヒサシがアスカの方に何の前触れもなく、視線を向けた。互いの視線がぶつかり、アスカは気まずさのあまり目を伏せた。これではまるでヒサシに気があります、と言っているようなものだとアスカは罰が悪くなる。
 やがて、ヒサシは女を連れて、店を出て行った。アスカはほっと胸を撫で下ろす。あのまま、二人を視界の端に捉え続けることはアスカには耐え難かったのだ。
 アスカはテーブルを片付けようとして、あることに気が付いた。徐にヒサシの前にあったコースターに手を伸ばす。
 きっと女がお手洗いに立った時に書いたのだろう。コースターには電話番号とヒサシの名前が書いてあった。電話をしてくれ、というメッセージであることは一目瞭然だった。
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